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2016-08

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話題のスカート=澤部渡に初のロングインタビュー敢行!

いいからスカート澤部渡を聞けって!
(取材・文:北尾修一/編集・撮影:テリー植田)

最近あらためて、音楽ってやっぱり必要だよなあと思う。今の「音楽業界」が3年後に消滅しててもちっとも困らないし、むしろ壊れたほうがいいんじゃないかとすら思ってるけど、それでも自分は身体が動くリズムや、空気を震わせるベース、メロディが上がって下がって裏返る瞬間、転調のはっとする感じとかが、生活の中に必要だ。
そんなことを2012年に入ってから再自覚するきっかけを作ってくれた男、スカート(aka澤部渡)のミュージック、キャラクター、ルックスをここに紹介する。


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24歳、体重120kg、主食はドングリとの噂。

既に耳の早い好事家たちの間では「間違いなく天才」「シュガーベイブはっぴいえんどフリッパーズ・ギター、の次」「向井秀徳の登場以来の衝撃!(主にルックスが)」など、様々な評判を呼んでいるスカートですが、これが史上初のロング・インタビューとなります。
で、まずは補足として取材現場の状況を。
本インタビューは2012年2月26日、某新年会の隅でおこなわれたものです。なので、お酒が入るにしたがって澤部くんが酔っぱらってしまい、後半は「若者の人生相談」みたいな話になっていますが、それもまたフレッシュマンらしいご愛嬌、ということで何卒。
また、後半に飛び入り参加する「阿久津」氏とは、岡村靖幸氏や佐野元春氏の担当ディレクターだった阿久津真一氏のことです。阿久津さんは某新年会参加者のひとりだったのですが、ご本人の許諾を得て、発言をママ掲載させていただいています。
ではでは。
まずは基本的な家庭環境の話から始めてみた。

写真 (1)

―――1987年、東京都生まれだそうですね。今も板橋区のご実家住まい?

澤部 そうです。

―――ご兄弟は?

澤部 兄がいます。

―――お兄さんは今は普通に……?

澤部 はい、働いてます。

―――ご両親のご職業は?

澤部 母は専業主婦で、父は保険の営業みたいな感じです。仕事内容はあんまり詳しく知らないんですけど。

―――澤部さんって、話していると、若いのにいろんな音楽にむちゃくちゃ詳しいじゃないですか。両親のどちらかが相当の音楽好きじゃないかな、と想像するんですが。

澤部 いやいや、僕の知識は穴が多いんです。母がいま50ちょっとだから、ちょうどNW(ニュー・ウェイブ)世代で、家にXTCのレコードなんかがあって、そこから……というのもあるんですけど。でも、それも1982年ぐらいの音楽で止まってますから。

―――じゃあ音楽好きだったのはお母さんのほう?

澤部 そうですね。母親はプリンスとか聴いてたんで、クルマで出かけるときは『ラヴセクシー』がかかっていました。

―――あのジャケットを子供の頃から見ていたと。最初に好きになった音楽は?

澤部 小さい頃から本当に音楽好きだったんで、どれが最初なのかもう分からないんです。それこそ父親が好きだった山口百恵とか南沙織の気もするし、スティーヴィー・ワンダーだった気もするし……これだ、という記憶はないですね。

―――最初に買ったCDは?

澤部 それも全然覚えてないんです。印象に残ってるもので言うと、3歳くらいのときに、短冊CDで「風の中の少年」(光GENJI)ってていうのを買ってもらったのだけは覚えてますね。それこそ光GENJIの中でも二流の曲なんですけど、それくらいしか思い出せない。自分のお小遣いで最初に買ったCDもイマイチ覚えてないんです。
母親が若い頃に聴いていたレコードを、10歳ぐらいのときに発見したんです。YMOが好きだったらしくて、たくさんあったんですね。それで、レコードプレイヤーを買ってもらって、YMOを聴くようになったんです。そこから母親のレコードを時々聴くようになるっていう。

―――YMOの他には何が好きだったんですか?

澤部 母親がDEVOのファーストも持っていて、好きでしたね。

―――ほんとにNWどっぷりのお母さんだったんですね(笑)。でも、それだと小学校の友達とは話が合わないですよね?

澤部 先生とは話が合って、担任から「音楽殺人」(高橋幸宏)のテープをもらいました(笑)。

―――その頃、クラスではどんな音楽が流行ってたんですか?

澤部 小学生の頃は周りはポケットビスケッツとか嵐とかが流行っていました。硬派な人たちはイエモンとかスピッツっていう感じで。
中学の頃は、小室哲哉ブームがひと段落つきかけていた頃で、友達はDo As Infinityとか聴いてました。で、僕は椎名林檎とかナンバーガールを聴いていたんですよ。でも、椎名林檎ファンはいても、ナンバーガールが好きな人は全然周りにいなかった。あ、あと、ゆずも好きだったんです。今となっては恥ずかしいんですが、ゆずが好きだったおかげで、教室でそんなに浮いている感じはなかったと思います。周りと本格的に音楽の話が合わなくなっていくのは、むしろ大学に入ってから(笑)。

―――大学は、昭和音楽大学ですよね?

澤部 よく知ってますね。

―――調べました。他にもこれまで好きだったミュージシャンを教えてください。

澤部 中学の頃はとにかくナンバーガールが好きで。それで、中学の終わりにyes,mama ok?というバンドに出会って、その前くらいからフリッパーズ・ギターとか、はっぴいえんどとか、古い音楽をどんどん掘るようになっていくんです。

―――澤部さんの年齢だと、はっぴいえんどとフリッパーズ・ギターが並列で「古い音楽」なんですね。

澤部 はっぴいえんどは小学生の頃から「あした天気になあれ」のシングルだけは持っていたんです。CMで流れていて、かっこいい曲だなと思って。その頃はまだYMOとはっぴいえんどの関係性もよく分かっていなかったんですけど。で、はっぴいえんどのアルバムをちゃんと聴くようになったのは、中学の終わりぐらいでした。

―――僕、中学校の頃にはっぴいえんどを初めて聴いたとき、「怖い」と思いましたね。その良さがやっと分かったのは、高校生になってからでした。

澤部 ははは。でも、怖いって感想もたしかに分かる気がしますね。言葉の譜割が独特ですもんね。

―――じゃあ、小学生の頃から日本の古い音楽は聴いていた?

澤部 はい。小学生の頃はとにかくYMOとRCが好きでした。
RCサクセションも、母親がLPレコードを持ってたので、小学生の頃からすごく好きでしたね。

写真 (12)

―――曲を作り始めたのはいつくらいからなんですか?

澤部 高校2年くらいからだったと思います。高校1年の時に4トラのカセット買って、そこから録音を始めるんですけど、歌モノを作り始めたのは高校2年くらいから。

―――それまで楽器は?

澤部 ゆずが好きだったんで、ギターを弾いてたんですよ。あと、小学校の音楽室にドラムがあったんで、小学生の頃は、音楽室でCDをかけて、そ
れにあわせてずっとドラムを叩いて遊んでる感じでしたね。

―――中学では音楽系の部活に?

澤部 吹奏楽部に入ってました。それで徐々にナンバーガールや椎名林檎に流れていって、ちょうどクロスするかのように、ゆずの曲が良く思えなくなってくるんです。

―――(笑)。

澤部 さらに、ゆずの北川悠仁のほうがどんどん平和っぽいことをやり始めて、「これは違う」と。ゆずをちゃんと聴いていたのは2003年くらいまでですね。

―――最初に組んだバンドは、カバー曲中心だったんですか?

澤部 それこそ椎名林檎のコピーバンドを中学の友達とやってました。あと、すっごい恥ずかしいんですけど、GLAYのコピーバンドもやらされてました。

―――最初からギター兼ボーカル?

澤部 ボーカルはほとんどやってないですね。中3くらいのときに、椎名林檎のコピーバンドで「ナンバーガールの『透明少女』をやろうよ」みたいな話をして、自分が歌ったのが最初だった気がするんですけど……。

―――じゃあちゃんとした音楽理論を勉強したのは、大学に入ってから?

澤部 楽典は大学でも勉強していないです。そういう授業はあったんですけど、僕、本当に不真面目な学生だったから、いまだに全然分かんない。

―――じゃあ、なんであんなに良い曲が書けるんですか?

澤部 そんなこと言われても、ちょっとよく分かんないんですけど。

―――僕、てっきり音楽大学の優等生だったんじゃないかと思っていたんです。

澤部 いやいや、超劣等生です。

―――ちなみに学科は?

澤部 作曲学科の中にサウンドプロデュースというコースがあったんです。すごいダサい名前なんですけど……。

―――何を勉強するんですか?

澤部 作曲や録音の技術です。

―――卒業生の主な進路は?

澤部 十中八九、フリーターです。

―――最悪ですね。

澤部 両親には本当に申し訳ないと思ってます……。

―――そもそも、なんで昭和音楽大学を受験しようと思ったんですか?

澤部 中学の頃にヤマハのギター教室に通ってたんですけど、その先生がいい人だったんです。僕は不真面目な生徒だったんですけど、今の僕のライブを観てもらえば分かるとおり、いまだにギターソロはほとんどやらなくて……あれ? 何の話でしたっけ? すみません、お酒が入るとどうしても……。

―――ちょっと酔っぱらってきてます?

澤部 そうそう、思い出した、ギター教室の先生が、昭和音楽大学の講師を兼任してた話です。その先生に「面白い音楽大学がある」と言われたから入ったわけですよ。

―――大学で学んだことは、いま役に立ってますか?

澤部 それは本当に役に立ってます。理論的な授業は全然ダメだったんですけど、それ以外の面では……そう、牧村憲一さんがその学校の先生のひとりだったんですよ。

―――僕、牧村憲一さんと昔お仕事をご一緒させていただいたことがあります。

澤部 『拝啓小沢健二様』という本ですよね?

―――正解です。けど、なんでそんなこと知ってるんですか。

澤部 その牧村さんの授業に、3年生の頃から潜り込むようになったんです。正確な授業名はちょっと忘れちゃいましたけど、たしか「ポピュラー音楽概論」って授業だったかな? 要は世界中のポピュラー音楽の歴史を総ざらいしていく授業で、その授業に牧村さんが持ってくる資料がとにかくすごかった。1970年のBBCで演ったジェームス・テーラーの映像とか...(以下、あまりにヤバイので割愛)

―――宝の山ですね。

澤部 当時のセットリストやライブのフライヤーを喫茶店で見せてもらったことがあるんですけど、途中からテンションがアガりすぎて吐き気がしてきました。

―――分かる気がします(笑)。

澤部 牧村さんの他にも、遠藤賢司さんザ・コレクターズの音を録っていたエンジニアの方も講師でいたんです。僕、エンケンさんもコレクターズも大好きなんで、「この音はどうやって録ったんですか!?」って直接その人に質問できたんで、そういう経験はものすごく勉強になりましたね。

写真 (2)
酔っぱらってる!!??

―――澤部さんは当時すでにスカートの活動を始めていたんですか?

澤部 そうですね。大学1年の時にはもうスカート名義で、ひとりで宅録をしていました。

―――名乗り始めたのは大学1年の時?

澤部 そうですね。

―――それは要するにコーネリアスみたいな感じで、ソロだけどあえてバンドみたいな名前をつけるという?

澤部 そうです。実際に一度バンド編成になったこともあるんですけど、それは1年半くらいで止めちゃって……。

―――なぜですか?

澤部 ドラマーがライブ中に突然、「本日をもって私はスカートを脱退します」って言いだしたんです。そのときのライブ映像、YouTubeにあるんでぜひ観てください(笑)。それで、「じゃあもう好きにするがいいさ」って感じでバンドはイヤになって。そこからしばらく経って、アルバム『エス・オー・エス』に入ってる曲がポツポツ出来てきたんです。

―――そもそもスカートって名前の由来は?

澤部 これはもう本当思いつき、なんとなく。スカートって名前のバンドがあったら面白いなあ、と。

―――もう少し踏み込んで言うと?

澤部 スカートってバンドをデブがやってたら面白いだろう、ってことです。

―――ありがとうございます。

澤部 あー、やっぱりお酒飲むんじゃなかった!

―――(笑)。

澤部 言い方が難しいんですけど、僕、スカートに憧れがあって。倒錯しているわけじゃないんですけど、女性に対する憧れが強いんです。その女性性の象徴がスカートなんです。たとえばですけど、僕がスカート姿で電車に乗ってたら、きっと周りはひきますよね?

―――子供は泣きますね。

澤部 でも、バンド名として名乗るぶんにはいいだろうと思って……。

―――あ、そういえばツイッターのアカウント名も「澤部わたる子」ですね。なぜなんですか?

澤部 あれはなんだっけなあ……あんまり覚えてない。でも、やっぱり、女の子願望が強いんですよ。ナチュラルボーンな女性がうらやましいというか、女装なんかしても全然追いつかない、もっと深い願望だと思うんです。本当に小さい頃から、男の子が好きそうな戦隊モノとか乗り物とか、全然好きじゃなかったんです。

―――今までスカートをはいたことはない?

澤部 全然ないです。

―――本当に一度も?

澤部 ないですって(笑)。

写真 (3)

―――ところで、大学行く前から見た目はそんな感じ?

澤部 もうずっと太ってますよ。6、7歳の頃からなので年季が違います。

―――なるほど。ちょっと話を戻しますけど、僕もスカートってすごく良い名前だと思うんです。アーティスト名が「スカート」というだけで、曲を聴く前から「間違いない!」って感じがするじゃないですか(全員には伝わらないかもしれませんが……)。で、澤部さんの場合、曲名もやっぱり同じ美意識に貫かれている気がしていて。「ストーリー」とか「S.F.」とか「ガール」とか、シンプルなんだけど言葉の選球眼がはっきりしていて、澤部さんの中ではきっと、好きな言葉と嫌いな言葉がはっきりしているんだろうな、と。

澤部 たしかに使いたくない言葉はありますね。

―――その美意識って、どのあたりから来てるんですか?

澤部 マンガが好きなんで、マンガのタイトルから引用しているものもあったりするんですけどね。

―――バンド名や曲名だけじゃなくて、歌詞の言葉もかなり選ばれてますよね。

澤部 歌詞はたぶん、はっぴいえんどとyes,mama ok?からの影響が大きいと思っていて。yes,mama ok?のふたりから教えてもらって、高校生のころは安部公房とボリス・ヴィアンを読んでいたんですよ。あとは、やっぱりマンガだと思います。マンガのネームはシンプルというか、あんまり言葉数が多くなるとフキダシが真っ黒になっちゃうから、そういう言葉選びからの影響かなと、自分では思ってます。

―――たとえばですけど、「だれかれ」という曲のタイトルとか、すごく良いですよね。

澤部 あの曲名に関して言えば、すきすきスウィッチってバンドの「顔と顔」という曲のサビからの引用なんです。ただ、どこかで外したいという意識はあって、「だれかれ」を例にすると、「言い訳とサブカルチャーの沼」って歌詞ができたところで「やったぜ! 今まで誰もこんなことを歌ったことないだろう!」と思ったり(笑)。

―――サブカルじゃなくてサブカルチャーなんですね。

澤部 「サブカル」ってどこか軽薄じゃないですか。今は蔑称になってるし。でも、そうじゃない面もあるんで、なるべく「サブカルチャー」と言いたいなっていうのがあるんですけど。

―――それ、どう考えても24歳の発言じゃないですよ。

澤部 いやいやいや。

―――そういえば澤部さん、文章もうまいですよね。『ジオラマ2号』(同人誌)に寄せた「漫画の話と、音楽の話がしたい。」という文章の中で、「断ち切りが多く、小口が真っ黒になっているような漫画は確かに躍動感があるので悪くは言えないが、僕は余白にこそ躍動感が宿るような気がしてならない」という印象的な一文があってドキッとしました。しかし、これ、一般論みたいな話ですけど、『ジオラマ』ってものすごく面白い雑誌ですよね。

澤部 面白いですよねー。

―――あらゆるマンガ雑誌の中で、いま一番面白いんじゃないですか。

澤部 だと僕も思います。

―――『ジオラマ2号』真造さんのマンガ(「2人ぐらしをはじめた。」)の踊る見開き! あれ強烈でしたねえ。

澤部 あんなマンガ、他の雑誌じゃ描けませんもんね。ああいうインディペンデントな感じが、いま大切ですよね。

―――そこで、いわゆる「NWマンガ」と括ってしまうと安っぽいですけど……。

澤部 いや、まあ、いいんじゃないですか(笑)。

―――西村ツチカさん市川春子さんふみふみこさん、九井諒子さんとか、一斉に80年代NW感のあるマンガ家さんが出てきている理由って……何ですか? 訊かれても困るかもしれませんが、僕、あのへんのマンガとスカートの音楽に同時多発的なものを感じるんです。

澤部 いや、まあ、何でしょうね。別段何がってわけじゃないと思うんですけど、ひとつ挙げるとすれば、みんなヒーローマンガに飽き飽きしてるんじゃないですか。

―――『ジオラマ』に寄せた文章で澤部さんが推薦していたマンガって、余白を読ませる詩的な作品が多かったですね。たとえば森雅之さんの作品集『夜と薔薇』とか。でも、森雅之さんのマンガは、僕の年齢ならリアルタイムで読んでますけど、澤部さんが何を契機に読んだのか、不思議でしようがない。

澤部 ははは。amazonにログインすると「おすすめ」が出てくるじゃないですか。高校1年の頃に、あれの精度をどんどん高くすることにハマって、自分の持っているマンガを「これは既に持っている」ってどんどんクリックして登録して、ふるいにかけていった結果、鈴木翁二が出てきたんですよ。で、「こりゃ面白そうだ」と思って、その周辺を掘るようになって。でも、なぜかつげ義春にはいかないで、森雅之とか高野文子に走るようになった。で、読んだら面白かったので、そこからまたいろいろ探っていくという。その繰り返しです。

―――勉強熱心ですね。

澤部 良くないと思うんですけど勉強熱心なんですよ。

―――良くないんですか?

澤部 たまに叱られるんです。年上の人に「きみは勉強熱心すぎる、もっと適当でいいんだ」って。こういうのが鼻につく人もいるんじゃないですか? 若者はもっと勢いに任せてやったほうがいい、みたいな。

―――他に好きなマンガ家さんは?

澤部 『ジオラマ』界隈は言うまでもないとして。高野文子さん、鶴田謙二さん、TAGROさん、芦奈野ひとしさん、小原愼司さん、柳沼行さん、小玉ユキさん、岩本ナオさん、あと冬目景さんもすごい好きです。

―――澤部さんの書いた文章の中に、「僕はいつもひどく漫画に憧れていて、コマ割のようにコードチェンジしたい、と考えています」という殺し文句がありました。この文章、いまだに頭にこびりついて離れないのですが、このあたりのところをもうちょっと説明してください。

澤部 なんでしょうね。やっぱり、マンガのコマ割と音楽のコードチェンジは似ているんじゃないかと思う部分があって。コマからコマへの移動は、風景を一変させるジャンプであってもいいし、前のコマの余韻を次につなげるものであってもいいし……。

―――そんな説明の仕方で自作を話すミュージシャン、初めて会いました。

澤部 ははは、ホントですか? でも、やっぱり、森雅之さんのコマ割りってシンプルだけどすごいと思うんです。シンプルなものほどすごいことって多いじゃないですか。凝りに凝ったものもいいんですけど、一番憧れるのは森雅之さんのコマ割みたいな境地で。簡単なことをやりたいんですよ。僕はまだ若いんで、ついテンションコードとか使っちゃうんですけど、将来的にはもっとシンプルでバシッとした曲を作りたいんです。

写真 (11)

―――そこから音楽に話を戻します。ムーンライダーズがお好きだと思うんですけど、歌い方が鈴木慶一さんっぽいと言われませんか?

澤部 よく言われます。鈴木慶一さんと直枝政広さん、ってよく言われます。

―――意識されてるんですか?

澤部 もちろんしてないですけど、自然にそうなっちゃうんです。

―――僕、ムーンライダーズよりスカートのほうが良いと思うんですけど。

澤部 いやいやいやいや(笑)。

―――ムーンライダーズの何がそんなに良いんですか?

澤部 やっぱり歌詞じゃないですか? それこそ「DON'T TRUST OVER THIRTY」の歌詞とかはすごいですよね。

―――「9月の海はクラゲの海」とか? そのへんは完全にリアルタイムですけど、なんかインテリに好かれそうな感じが僕はダメでしたね。

澤部 僕もなんでハマったのかは分かんないんですよ。大学1年のときに通学の途中で、急にシャッフルで「DON'T TRUST OVER THIRTY」がかかったんです。僕、大学まで通学に片道2時間40分もかかってたんです。しかも大学1年で友達もできなくて、「4年間ずっとこの調子かな」と思って気持ちが沈んでたんですけど、そのとき急に「DON'T TRUST OVER THIRTY」が流れて、「あ、世の中にはこんな人もいるんだ」って、気持ちが楽になったというか。歌詞が、フィクションなんだけど切実じゃないですか? 僕、切実なものがやっぱり好きなんです。僕が「ハレンチ」(岡村靖幸)をライブでカバーするのは、やっぱりあの歌詞がすごく好きで、岡村さんの葛藤がすごく伝わってくるからなんです。

―――スカートの歌詞も、言葉を選びながらも「切実さ」はきちんと伝わってきますね。

澤部 そうですね。でも僕の思いはなるべく直接的に出さないようにはしてるんですよ。入れても2割ぐらい。なんでかっていうと、僕が高校の頃に青春パンクが流行ってて「こうはなりたくない」と思ったんです。自分がやるんだったら、それこそ40、50になっても歌える曲じゃないと嫌だと思っちゃって。そのへんが「勉強のしすぎ」と怒られるところだとは思うんですが。

―――直接的に魂の叫びを表現すればいいってものではないですよ。ところで、岡村靖幸さんはいつから?

澤部 中学のときにアルバム『家庭教師』をレンタルしたんですけど、中学生にはやっぱり早すぎて「すごいのは分かるけど……」って(笑)。でも、高校の担任が岡村靖幸の大ファンで、たくさんアルバムを貸してもらって、そこから一気にファンになった感じでした。でも、僕が岡村靖幸を好きになった頃は、すでに活動はあんまりしてなくて、何だったら塀の中にいたかもしれない時期で。「やっぱりこの人は本当にすごいな」と思ったのは、「やましいたましい」を聴いたときで。「あ、この人は別格だ!」と思ったんですよ。それで、あらためて聴きなおす過程で家庭教師ツアーのライブ映像をニコ動で観て……ここまでやられたら最高としか言えないって感じでしたね(笑)。

―――最近はどんなのを聴かれてるんですか?

澤部 常々聴いているのはブロッサム・ディアリーとか。あのあたりはすごい好きで、7インチを探したりしてますね。

―――じゃあ最近の好みとしてはロックとかじゃなくて……。

澤部 そうですね。スパークスとかは好きなんですけど、ロック全般はあんまり好きじゃないんですよ。とにかく今も昔も主張するギターがそんなに好きじゃない。ロックというより、良い曲を聴きたいという感じなんですよ。自分で曲を作るときも、良い曲を作りたいというか。

―――じゃあバンドサウンドにはこだわっていなくて、曲によっては可能ならフルオーケストラで録音したいとか思います?

澤部 そういうこともやりたいです。まあフルオーケストラは無理でしょうけど、普通に弦楽四重奏とか木管五重奏なら出来ないこともないんだろうなと。

―――あのー、唐突ですけど、小西康陽さんの音楽とかどう思います?

澤部 すごい好きですよ。特にコロムビアに移籍するちょっと前くらいのソニー時代、『月面軟着陸』のあたりが大好きで。ただ、ハウスとかテクノ
っぽい音は本当に聴かないので、正直『オーバードーズ』とかは好きじゃないです。でも『PIZZICATO FIVE』(HEAT WAVE)以降のアルバムはまた全部好きですね。

―――コード感がない曲は好きじゃないということですか?

澤部 どうなんでしょうね。とにかくハウスっぽい音楽は好きじゃないんです。僕、80年代以降の洋楽が全部抜けてるんですよ。ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツとザ・レンタルズくらいしか聴いてないっていう(笑)。だから、周りとの断絶は最近よく感じますけどね。つくづく生まれてくる時代を間違えたと思っています……。

―――僕、小西康陽さんと被る資質を澤部さんに感じているんですけど、それは嬉しくない?

澤部 めちゃくちゃ嬉しいですよ。この前のソロアルバム(PIZZICATO ONE『11のとても悲しい歌』)もすごく良かったですし。

―――じゃあ最後に。これからの活動の展望は?

澤部 自分もいつまで曲が書けるか分からない、っていうのがありまして。古い曲はいくらでも出せますけど、いつかは底が尽きますから。昔からそうなんですけど、家であんまりギターを弾かないんですけど、ギターを弾かないと曲はできないじゃないですか(笑)。

―――ついマンガ読んじゃったり?

澤部 はい、マンガ読む時間のほうが重要っていうのがあって。なんとか普段からギターを弾く生活にしたいなと。

―――いまは書店員のアルバイトもしているんですよね?

澤部 そうそう、それが夕方5時から夜の11時ぐらいまであって、そうすると楽器弾くのは深夜になるじゃないですか。昼間はレコード聴いたりマンガ読んだりするほうが優先順位高いんで。

―――次のアルバムリリースの予定は?

澤部 新曲ができれば、ですね。別にメジャーと契約しているわけじゃないんで「曲が出来たらリリースする」という感じなんですけど。

―――メジャーのレコード会社との契約に興味ありますか?

澤部 お金がもらえるのであれば(笑)。

―――澤部さんに限らず、今の若いミュージシャンの人たちって、あんまりそういう欲がないですよね。

澤部 仮想敵じゃないですけど、「メジャーなんて!」っていう部分があるんじゃないですか。知り合いがメジャーと契約したんですけど「給料いくら?」って訊いたら10万円で、それじゃ夢ないなぁと思って。もちろん売れたら給料も増えていくんでしょうけど、それならメジャーでも自主制作でも、どっちもどっちかなと。もちろんメジャーレコード会社ならではの宣伝力は絶対あると思うんですけど。だから、まあ……声をかけてもらえれば、と(笑)。

―――澤部さんって、自分の音楽がどれくらいまで届けばいいと思ってますか? 分かる人だけに聴いて欲しいのか、コンビニの店内でも流れて欲しいと思っているのか。

澤部 昔からずっと思ってるんですけど、たぶん僕のやってる音楽が必要な人って、少しはいると思うんですけど、メインになったらマズイんじゃないかと。僕の音楽は暗いし、きっと明るい音楽のほうが世の中には必要なんじゃないかなと。

―――スカートの曲って暗いですか?

澤部 暗い気がしますね。詞も曲も。

写真 (8)

阿久津(突然乱入してくる) それを良い方向に解釈すると、澤部さんって謙虚だよね。欲ってないの?

澤部 いやいや、メチャクチャありますよ。それこそバイトせずに生活できるようになりたいです。

阿久津 でもさ、たとえば10万円という給料をもらったときに、「10万円なりの何かを返してよ」ってことが暗に期待されているわけじゃない? そことどう折り合いをつけるかを考えるのが世の中じゃないかという気がしてて。そこで澤部さんの中では「マンガを読む時間だけは絶対に守りたい」とか、いろいろ優先順位があるわけだ。だから……すごく謙虚だなと(笑)。

澤部 そうですかねえ……。

阿久津 ただね、僕が客観的に感じるのは、澤部さんがああいう歌を歌っていることで「救われた」とまでいかなくても、単純に「あ、そんなこと言っていいんだ」と思えたり、「自分も同じことを考えていた」と思う人はいるんじゃないかな。で、それはとても重要なことだと思うんですよ。

澤部 必要としてくれる人が本当にいるのか? って疑問が自分の中であるんです。

阿久津 澤部くんの歌詞って、「足らないんだけど、こういう言い方ってアリだね」って思わせてくれる感じがあるよね。

澤部 そうなんです、「足らないけど分かる」っていうのが一番好きなんですよ。

―――余白の多いマンガ、と通じますね。

澤部 僕、最初のアルバム『エス・オー・エス』を出したときに、「これ、すごくいいアルバムだけど絶対売れない!」と思ったんですよ。なんでそう思ったかと言うと、これは本当に手前味噌なんですけど、「すごく良いものが出来た!」 と思ったときに「でも、良い内容なのに売れなかったレコードって、メチャクチャ多いな。ということは『エス・オー・エス』も売れないわ」と思ったんです。よく中古レコード屋にものすごく高い値段でレア盤が飾ってありますけど、僕のアルバムもそこにいくんじゃないかっていう……そこは謙虚じゃなくて傲慢なんですけど(笑)。セカンドアルバム『ストーリー』も好きですけど、やっぱり『エス・オー・エス』は特別なアルバムなんです。でも、『ストーリー』がすごくウケたという印象が自分の中ではあって。『ストーリー』は『エス・オー・エス』の反省を生かして、バンドで録ったんですよ。ミックスもエンジニアに任せて自分ではやらないようにしたんです。そうすると自分の視点ではないものが入って、それが良かったんだなと思って。それがさっきのレコード会社に所属するという話につながるんですけど、きっと自分だけでやっていたら『ストーリー』は出来なかったわけですし、また誰かの手を借りたほうが自分の音楽は広がっていくんじゃないか、っていうのが今回分かったことなんです。

―――それは要するに「自分の音楽を広げていきたいと考えている」ということですね?

澤部 そうですね。できるなら広げたいです。ただ、お酒の勢いで言ってしまうと、僕の音楽ってある程度はウケると思うんです。でも、分かんない人のほうが絶対多いって思うんですよ。

阿久津 そもそも自分のことを100%分かれってのが無理だよ(笑)。さっきから澤部くんの言ってることを聞いていると、それを求めるような感じだから、僕からすると、もっといい加減になったほうがいいんじゃないかな。アルバム全部じゃなくても、「ハル」は好きとか「ガール」は好きとか、1曲ごとに自分の解釈で「ここがいい」っていう部分が、聞く人それぞれにあると思うんだよね。そこはもっとリスナーを信じたほうがいい。澤部くん、自分で自分のことを決めつけすぎて、何かを避けてるんじゃないかな?

澤部 いや、それはあるかもしれないです。音楽も聴かず嫌いが多くて、お恥ずかしいんです。本当は機会があれば何でもやりたいんですけどね……いや、1月くらいまで完全に受け身だったんですよ。アルバムを聴いたら、リスナーのほうから自発的に情報を探してライブ観に来てくれるだろうと思ってた。完全に天狗ですよね……。

写真 (4)

阿久津 マネージャーさん的な人はいるんですか?

澤部 いないんですよ。これまた受け身なんです。

阿久津 というか、今は楽しいことがいっぱいあって、優先順位があるんじゃないかな。でも、真剣に音楽をやるんだったら、勇気持って飛び込まないといけない部分もあって。ただ、澤部くんとしては今はまだ「何者にでもなれるぞ」ってところがあって、迷ってるわけじゃないんだろうけど、どうしようかなーって感じなんじゃない? 

澤部 難しいですけどね。飛び込んでいくしかないのか……。

阿久津 僕から言わせると、どんどん表現していってほしいというか、そこに共感を持つ人たちが絶対に現れると思うんです。ただね、その子たちって、きっと澤部くんと同じようなタイプだと思うから、受動的というか、ちょっと引っ込み思案になってる感じがするんだよね。

澤部 はあ。

阿久津 でも、だんだんそういう人たちが集まってくれば、それはそれですごく力になっていって、意外と能動的にコトが起こっていく感じがするんですよね。今の澤部くんはまだ、飛び込む準備中だね。

澤部 でも、24歳だとちょっと遅いんじゃないですか? 僕は、自分が60歳になったときにどんな歌を作っているかが気になっているんですよ。

―――そんなとこまで考えるんですか。

澤部 そこまで考えちゃうんです。僕の好きなアーティストは、ムーンライダーズにしろスパークスにしろ、60歳近くになると化け物みたいなレコードを出すんですよ。その頃に自分が何をしているのか、そのために今は何をするべきなのかが気になるんです。

―――それは考えすぎでしょう。

澤部 すみません。

阿久津 こんなこと言うと失礼だけど、自分が60歳まで絶対に生きているという確信があるんだね(笑)。

澤部 ありますよ。

阿久津 そこが澤部くんの面白いところだと思うんだよね。

―――ですよねえ。

澤部 ……あの、すみません、お水をもらっていいですか?

写真 (9)

写真 (10)
(2012年2月26日@松濤神社前RYUSUKE HOUSE)

(北尾修一・プロフィール)
北尾修一(きたお・しゅういち)プロフィール
1968年京都府生まれ。雑誌『クイックジャパン』(太田出版)発行人。

(阿久津真一・プロフィール)
音楽プロデューサー。
1957年東京都生まれ。中学生の頃から音楽に興味を持つ。
1981年大学卒業後、音楽プロダクション 有限会社ヴァーゴミュージックに入社し、epo、浜田金吾、村松邦男、佐橋佳幸らのマネージャーとして活躍。
1989年に株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント/Epic Sony Record(当時の名称)に転職、制作ディレクター・A&Rとして岡村靖幸、佐野元春らを担当する。
2001年、ビクターエンタテインメント株式会社に移り、制作プロデューサーとして、PEALOUT、TRICERATOPS、MIGHTY JAM ROCKを担当。
2011年からフリーの音楽プロデューサーとして、「自分が伝えたい音楽」を念頭に出会いを求め日々奮闘中!

(テリー植田・プロフィール)
SHOW-OFF編集部ライターとして・編集者として巻頭インタビュー記事を担当。
東京カルチャーカルチャーのプロデューサーとして多くのイベントを手掛け、
東急ハンズの売場・イベント企画もプロデュースしている。

スカートのワンマンライブは、5/25(金)東京カルチャーカルチャー(お台場)にて開催間近っ!
チケットお求めは、こちらからお早めに!

スカート公式サイトで最新情報をチェック!
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テーマ:お気に入りアーティスト - ジャンル:音楽

ピエロ決起集会! ニューロティカ

表4


SHOW-OFFとは何かと親交の深いニューロティカ
今回、私たちのラブコールに答えてくれて、
高円寺「Club Missions」ニューロティカのライブが実現します!

SHOW-OFF presentsのこの企画。

さて、何がでるかはお楽しみに♪
是非、遊びに来て下さいね!

場所:高円寺Club Missions
日時:2011年2月11日(金・祝)18:00 open/19:00 start
料金:前売り¥2.800 当日¥3.300
問い合わせ:高円寺Club Mission's 03-5888-5605
チケット:イープラス  [ピエロ決起集会!]



piero

本日Vol.41発行!

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皆様

ホントにご無沙汰でございます。
本日、Vol.41が発行になりました。

表紙は「毛皮のマリーズ」


今回も相変わらず高円寺らしい濃い内容でお届けしています!
是非GETして下さいね。

なかなか見つけられない場合は、
下記の店舗なら必ず置いてあります!

・UNDER700南口駅前店(4丁目カフェ2階)

また、郵送も可能です。ご希望の方は、240円分の切手を同封の上、
下記まで請求して下さい。

〒166-0003
東京都杉並区高円寺南4-40-20
有限会社 HOT WIRE GROUP
「SHOW-OFF 41号」宛

SHOW-OFF Vol.39発刊!

驚くことに
前回のブログ更新が3ヶ月前です~~~~!

ということで
SHOW-OFF Vol.39発刊してます!

表紙は高円寺で見かける人No.1のゾマホンさんです

コンテンツも益々充実しております
みなさんなくなる前にゲットしてくださいませ☆

表紙

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